Quiet & HSP -内向的、敏感な人の世界

Quiet & HSP -内向的、敏感な人の世界

私には苦手なことがたくさんある。それも、社会人としてしばしば遭遇することにおいて。

  • 5人以上の飲み会。
  • 長時間の会議。
  • 1週間に3回以上会食が入る。
  • 電話がちょくちょくかかってくる。あるいは、ちょくちょくかけなければならない。
  • 出張に出かけて四六時中仕事の人と一緒にいる。
  • 誰かと誰かが言い争っているのを見る。そういうメールをCCで読む。
  • 数字やスピードを競わせられる。
  • 大声で話す人。どなる人。
  • 私の席の背後で打ち合わせが始まる(会議室へ行って・・・)。
  • 全ての可能性を検証せずして結論を断定し主張しなければならい。

・・・などなど。こういうことがあると、そのときはなんとか対処しても、数日後に体調を崩したりする。あまりにこれが続くと、環境を変える必要が生じたりする。

そんなことも関係して、20代のうちに3回も職種・職場を変えた。特に、長時間労働・パワハラ・暴言・社員への無慈悲な処遇・スピード&目先の利益を何よりも大事とする・・・といった、今書いているだけで辛くなる職場のときは半年が限界だった(しかしその半年がまるで3年のように感じたのですが)。だってそんな職場では身の危険を感じたし、そのようなことが横行している職場やそれを作っている経営層に対して私の良心がそれを許さなかったのだもの・・・。

とにかく働き方に悩み、自分に合う仕事に悩み続けたのが20代であり、30歳を境になんとなくの方向性は見えたものの、いまだに、悩むことが多い仕事人生であります。

* *

そんな私にとって、約4年前の2013年に出会って以降、バイブルとなっている本があります。

その本のタイトルはズバリ、「Quiet -The power of introvert in a world that can't stop talking」。

直訳すると、「静かな人々- この騒々しい世界の中で、内向的な人の持つ力」となるでしょうか。日本語版は「内向型人間の時代」だとか、文庫版にいたっては、「内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える」なんてタイトルで出ています。内向的な人間からすると、ちょっと抵抗あるタイトルたち・・・。「内向型人間の時代」とか「すごい力」だなんて自分から言うなんて・・・と。静かに控えめに生きている自分たちのことをそんな風にタイトルでうたうのはなんとも居心地の悪さを感じてしまいます・・・。


それはさておき。この本に出会ったきっかけは、著者スーザン・ケインのTed Talksを聞いたこと。そのトークのタイトルは、「内向的な人の秘めている力」といいます。

彼女はこのトークの中で、読書が大好きだった自分の幼少期から振り返り、「社交的で活動的であることが何より評価される文化において、内向的であることは肩身が狭く、恥ずかしいとさえ感じられた」と語ります。しかし、内向的な人は世界にものすごい才能と能力をもたらしているのであり、内向性はもっと評価され奨励されてしかるべきだ、と結びます。

(トーク内容の日本語書き起こしはこちらのリンクから読めます)→https://www.ted.com/talks/susan_cain_the_power_of_introverts/transcript?language=ja

彼女のTed talks及び本は、私にとって3つの意味で大きな衝撃でした。

✓ 「私が生きている社会は、明るく社交的で自信ありげなのが良いこととされる社会なのだ」という、社会規範に関する認知をもたらした

✓ 私は「グループよりも一対一の会話を好む」「ひとりでいる時間を楽しむ」といった特徴を持つ内向型人間だ、という自己に関する認知をもたらした

✓ 私の居心地の悪さは社会規範との"ズレ"から来るくるものであって、"恥ずべきものではない"ではないという認知をもたらした

 

このように、自己と社会への認知がガラリと変わりました。私の中で、”捉え直し” が起こったのです。

本の題にもあるように、それまでは、騒がしい世界(the world that can't stop talking)の中で、静けさを求める私はときどき、ひどく疲れていました

学生時代は、好きな勉強をして、飲み会の多いサークルを避け、気の合う少数の友だちとだけ付き合っていても支障がなかったので良かったのですが、社会人になると「私はこれが苦手だ」「私はぐったりしてしまう」・・・などと感じる場面に多々遭遇しました。
強く自信たっぷりにモノを言う人に圧倒されてしまう(話している内容が正しいかどうかは別として)。早くたくさん発言する人にも圧倒されてしまう。そういう人とのやりとりで、消耗してしまう。

そんな中で気後れしたり、どうにもやっていけない・・・と思うことしばしば。平日の仕事で全てのエネルギーを使い果たし、

「ああ・・・植物とか育てたい・・・植物と会話したい・・・」

そう言って週末は1人で部屋に引きこもったり。

 

でもスーザン・ケインの本を読んだら、まず「自分はこういう場面ではこう感じる」という自己認知を深めることができた。そして、(ここからが重要なのですが、)自己をより理解し把握した上で、「そんな自分がもっとも効果的に能力を発揮できる仕事は何か」について、とことん、追究したいと考えるようになりました。

私には苦手なことがある。逆に得意なこともある。そしてその個性は、Gifted(ギフテッド)神様から与えられたものなのだから・・・

自分の個性をまっとうしたい。自分的なアプローチでもって、めいっぱい社会に参加したい。

その思いは今も続いています。

* *

フィンランドのコミック「マッティは今日も憂鬱」とその続編「マッティ、旅に出る。」の2冊の翻訳を手がける過程で私は、自分がスーザン・ケインの本に出会ってからのことを何度も思い出していました。

というのも主人公マッティが憂鬱になる場面、それがところどころ、「内向的な人が感じる憂鬱」と重なっていたからです。

* *

さらに「マッティ」シリーズを翻訳している間、私は「内向的な人」というキーワードに加えて、「HSP(Highly Sensitive Person)/ 敏感な人」というワードに新たに出会いました。HSPというのはひと言でいえば、「とてもきめ細かいフィルターで世界に接している人」。そのため、外界から入ってくる情報量がやたらと多い。だから、人混みが苦手、大きな音が苦手、音や香りや人の感情に敏感、といった特徴があります。敏感さゆえ、社会と接する中で憂鬱を感じ取る場面も多い。逆に、美しい自然の中では心の底から喜びを感じたり、動物や植物と接するのが得意だったりします。

それは、スーザン・ケインの本に続く第二の衝撃。「そうか、自分に起こるあれこれは"敏感" さゆえのことだったのか・・・」と。

例えば仕事上、やむを得ず見た映画の中の暴力シーンが辛すぎて気分が悪くなり、数日間体調不良になるといったことがあったのですが、それもHSPなら起こりうることだ・・・と納得しました。(そもそもどんなに安っぽく作られたドラマだろうと血が流れるシーンを見ると「痛い」と思ってしまいダメです・・・)

仕事で数日間の出張に出かけたあと、帰ってきてから熱を出して寝込んだのも(長時間ずっと人と一緒にいるのが自分にとってはtoo much だったのね)と納得。

フィンランドに行くと「落ち着く」のは、私に飛び込んでくる情報量が「ちょうどいい」し、周囲の人々や街全体がうるさすぎないからなんだなと考えると、これも納得。(もちろんフィンランドを好きな理由なんて、ほかにもいっぱいいっぱいあるけれど!)

 「しん、としている。」ーそれはマッティが夢見ること。 「マッティは今日も憂鬱」 より。

「しん、としている。」ーそれはマッティが夢見ること。「マッティは今日も憂鬱」より。

* *

「内向的な人」と「敏感な人」の関係についてスーザン・ケインによれば、「敏感な人の70%は内向型で、残りの30%は長時間の「休息」が必要」だそう。

ちなみに私は内向的&敏感の両方あてはまるタイプです。

* *

こんな風に自己認知を深めることは、自分を「正当化」することとは違います。自己にうぬぼれることでもありません。内向型の人や敏感の人は、(その性質とは逆の人間像が良しとされる世の中で)そもそも自己肯定感が低いことが多いのです。そのためまずは、否定的でははなく、フラットに、ありのまま捉え直す、という作業が必要なのです。

そしてそこから、「自分と世界との新しい向き合い」が始まるのだと思います。騒がしい世界と戦うでもなく、逃げ隠れるわけでもなく。

新しく得た視点から、もう一度、自分の可能性を発見し、外の世界の世界を注意深く観察し、まだ見ぬ素晴らしさや喜びを、発見していくのです。

 フィンランドの空港にて。大勢の人がせわしなく行き交うにぎやかなエリアを通り抜けたところに、突然出現した、静かでいかにも”フィンランド的”な空間。(白樺は、フィンランドの”国の木”だよ。)

フィンランドの空港にて。大勢の人がせわしなく行き交うにぎやかなエリアを通り抜けたところに、突然出現した、静かでいかにも”フィンランド的”な空間。(白樺は、フィンランドの”国の木”だよ。)

そうはいっても。小さなことに動揺したり心を痛めたりしやすい私は、

「タフな人だったらこういう場面もやすやすと乗り越えられるのだろうにな・・・」

と落ち込むことも。いまだにあります。

微細な情報をキャッチして、「これはよくない!これは私にとって危険!」という信号が体内に鳴り響いてしまう。不穏な空気を感じ取ってしまう。でも周りのみんなはやり過ごしている。ここでやり過ごせるのが大人ってものなのではないか?!これくらいのことに耐えられない私は弱すぎでは?!

そんな自問自答を相変わらずしてしまうし、自分の行動について、大切な人から心ない言葉をかけられて傷つくこともあるのが現状です。でも私はこの "HSP / 敏感な人" というテーマについて、もう少し深く関わり探っていきたいと思っています。今、日本語で読める本はそこそこあるのだけれど、「そんな私が、どう生きていったらいいのか」について、もう一息、背中を押してくれるような本がないだろうか・・・と思うから。あわよくば私がそんな文章を書けたなら。

パーティに出かけて憂鬱を晴らすのは苦手なやり方。でも、内向的あるいは敏感な人々は幸いにも、本や文章を通してこっそりと互いに出会い、気持ちを分かち合うことができる。場合によっては国境も越えて。スーザン・ケインの本や、「マッティ」のシリーズは、私にそんなことを教えてくれました。

だから私は受け取ったものを、次の誰かに渡したい。そんな仕事ができたらいいなと、最近考えている。

そんな旅はつづく。


■HSP関連の本はいくつか出ていますが・・・

633765F3-8ECF-45B2-A2D7-910DB75E60AE.JPG

①がっつり網羅的&学術的: 「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」(エレイン・N・アーロン著、冨田香里訳、SB文庫) 

②なじみやすい語り口で読みやすくアドバイスも身近:「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」(イルセ・サン著、枇谷玲子訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)

などが私のお勧めです。

①は深掘りできますが、自分が特に”敏感な”タイミングで読むと、読んでいて辛くなってしまうことがあるかも。②は優しく寄り添ってくれる感じで、構えずに読めます。

■今まさに自分の繊細さゆえに仕事で悩んでいる、という方がいたら、まずはこちらの記事を是非読んで欲しいです。

「生き残りの要 仕事場で繊細な人が必要なワケ」(日経ウーマン)

 


アウトドアスキルはないけど自然好き・・・そんな私の憧れを叶えるサウナ

アウトドアスキルはないけど自然好き・・・そんな私の憧れを叶えるサウナ

夏がくれば必ず・・・「マッティのスマイル」を私は失ってしまったのだろうか

夏がくれば必ず・・・「マッティのスマイル」を私は失ってしまったのだろうか