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Haruka Yanagisawa / ライター&翻訳業/ 北欧、キャリア、働き方、ジェンダー、コミュニケーションなど

書き起こし『マッティは今日も憂鬱』シリーズの日本語出版を通して感じたフィンランド人と日本人の共通点・相違点

書き起こし『マッティは今日も憂鬱』シリーズの日本語出版を通して感じたフィンランド人と日本人の共通点・相違点

2018年4月に日本フィンランド協会の例会で講師を務める機会をいただきました。

テ—マは「『マッティは今日も憂鬱』(原題:Finnish Nightmares)シリーズの日本語出版を通して感じた、フィンランド人と日本人の共通点・相違点」

と、いうわけで、その内容の書き起こし版を作成しました。50分の話を凝縮しているので省略はあるものの、だいたいの内容は網羅しているはず!たかが翻訳者のはしくれがおこがましいのではありますが、せっかくお話の機会をいただいたので、「マッティ」と過ごしたこの1年半ほどを振り返りつつ、あーだこーだと考えてみました。

前半は私の自己紹介なので知っている人は飛ばしてください。最後の余談(次に出る本の紹介)は割愛しています。ではどうぞー!↓


<日本フィンランド協会の例会書き起こし>

今日のお話ですが、まず私自身の自己紹介。私がどのようにしてフィンランドとかかわることになったかという点も含めてお話して、それからマッティについてのお話をできればと思います。 マッティとはそもそもどんな作品なのか。日本での反響がどうだったか。 そして、メインテーマである、フィンランド人と日本人の共通点、違う点について、私なりに出版を通して感じたことをお話します。

わたしとフィンランド

私が仕事でフィンランドにかかわるようになったのは3年ほど前からです。どういう経緯でそうなったのか。ちょっと簡単に経歴を時系列でお話しします。

 2007年に東京大学文学部を卒業し、専攻は国語学でした。卒論では日本語と英語の比較研究をやりました。 東京大学には、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、松村一登(かずと)先生というウラル系の言語(フィンランド語やエストニア語がそこに含まれます)を研究されている先生がいらっしゃいます。当時の1-2年生向けの授業科目一覧を見返すと、松村先生によるフィンランド語の授業というのがありました。 しかし残念ながら、当時の私はフィンランドとは無縁の生活を送っていました。演劇やバンドに熱を上げるごく普通の(?)学生生活でございました。

卒業後もフィンランドと無縁の仕事につき、無縁の生活を送っておりましたが、2014年、フィンランドにはじめて行くことになりました。そのときなぜか、「フィンランドで犬ぞりがしたい!」と思い立ったのです。

 

はじめてフィンランドに行った理由

当時、確固たる理由があってフィンランド旅行を思いついたわではありませんでした。しかし、あとになって考えてみると、1つには、20代を通して色々と日本社会に関して疑問が積み重なって、「外の空気を吸いたくなった」タイミングだったのだろうなと思います。

私は、20代のうち3つの会社で働きました。その中で特に、長時間労働、ジェンダー問題といった問題に直面し、色々と「どうして?」と思うことが増えていった。だから、なんとなく今いる場所が息苦しいなあというのはありました。だから、外に出てみたくなったのかもしれません(転職してワークライフバランスを大改善させた、という環境要因もありましたが)

さて、そしてはじめて訪れたのは3月のロヴァニエミ。そこで念願通り、犬ぞりをやり、トナカイぞり、サンタさんとの面会、オーロラ観測、たき火でマッカラ(ソーセージ)、ウィンター・スイミング(極寒の水で泳ぐ水泳)大会の観戦と、満喫しました。凍る冷たさの川で泳いだあとに、移動式の薪式お風呂であたたまる人々を見て、なんだかこれは雪の中露天風呂に入る日本人に似ているのかも?と思ったものでした。

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たった4、5日ほどの旅でしたが、私は思いました。

ここはなんて居心地の良いところなんだろう?!と。なぜ居心地が良いのか、そのときは理由はわかりませんでした。わからないけれど、ただ、抑圧から解き放たれたように生き生きとして。自分の中の、無邪気な心が顔を出して、なぜだか雪の降る中公園でブランコに乗ってしまったりしました。

理由はわからないけど、なんだか、すごく好き!

それがフィンランドの第一印象でした。恋した相手のことをもっと知りたいと思うように、フィンランドのことを知りたくなった私は、帰国後、その国のことを知るには言語からだろうと思い、フィンランド語の教室に通い始め、そしてロヴァニエミ旅行から1年後くらいに当時勤めていた会社をやめて、ライターの仕事をはじめました。

そして日本でフィンランド関係のイベントがあれば取材へ行き、記事に書くようになりました。Slushにおけるプログラミング教室イベント、フィンランドセンター主催のジェンダー問題に関する討論会など。ほかにも、女性の生き方に関するインタビュー記事を書いたり。しなやかに強く生きる女性というのは日本・フィンランド関係なく関心あるテーマです。

そうこうしているうち、2015年の秋、”Finnish Nightmares” のブログが誕生。というわけでここからやっと、今日の本題です。


『マッティは今日も憂鬱』(Finnish Nightmares)とは

まず、「マッティは今日も憂鬱」とはどういう作品なのかご紹介します。これは、マッティが遭遇する小さな「憂鬱あるある」を描いた一コマ漫画。 マッティは典型的なフィンランド人という設定で、平穏と静けさとパーソナルスペースをとても大事にしています。

もう少し具体的にいいますと、混んでいるところが苦手、親しくされるのが苦手、褒められるのが苦手。 逆に、大切にしているものや好きなものとして、 サウナが大好き、コーヒーが大好き、空いている乗り物が好き、・・・ という感じです。みなさん、当てはまるもの、ありますか?私自身は8割がたマッティです。

 

フィンランドでの人気ぶり

ブログ、そしてFacebookページが立ち上がるとすぐさま人気に火がついて、今ではFacebookには18万人以上のファンがついています。フィンランドでは、2016年2月に第一弾が書籍化され、2017年には第二弾も出版されました。第一弾は、2016年のコミック部門で一番売れた本だそうです。

グッズも色々出ていますし、ネイルアートにする人まで。SNSにはさまざまなマッティの写真があがっていて、愛されキャラなのだなあと感じます。

Sydney Roseさん(@lucky_you_someone)がシェアした投稿 -

余談ですが、私がはじめてマッティのブログを知ったとき、日本のあれに似ていると思いました。

「いつもここから」というワタナベエンターテインメント所属の芸人さんのネタに、「悲しいとき」というのがあるんです。しんみりとしたクラシックのBGMをかけながら、ちょっとだけ悲しいことを連呼するネタ。たとえばこんな感じ:

「悲しいとき〜 もうすぐ降りる駅なのに、友だちの話がまだまだ終わりそうにないとき〜」

 

一時期はCMにも使われる人気ぶりでしたので、なんかこう、「ちょっと切ないことを言葉して分かち合う」という芸風って、日本人も楽しめるんじゃないかなと思ったのが第一印象でした。

 

日本での展開

日本では、方丈社さんより2017年4月(いまからちょうど1年前!)に第一弾、11月に第二弾を発売しました。今年の春にはグッズも出て、こんな感じですね。

朝日新聞などの新聞書評に何紙か取り上げていただいたり、ガイマン賞(翻訳出版された外国語マンガを対象にした賞)のセンバツ作品に選ばれて投票の結果、1位になったり。日本でも、一部の人の心に響いて、受け入れて頂いて、(数は多くないですが)読者がついた、ファンがついたという感触がありました。

 

日本人読者はどう思ったのか?

では、日本人読者はどんな感想を持ったのでしょうか。ひとことで言うと、これなのかなと。

「めっちゃ仲良くなれる気がする」

つまり、共感とか親近感を抱いて本を手にとってくれた読者が多かった。(写真はヴィレッジヴァンガードお茶の水店に実際に行って撮影したものです。)

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ガイマン賞の投票コメントでも、「わかる、わかる」という共感や、「フィンランド人が自分とそっくりであることに驚いた」という声が多くみられました。

エフエム石川のパーソナリティ、松岡理恵さんは放送の中で次のようにコメントしてくださっていました。(以下、オンエアの書き起こし。太字は私によるものです)

「マッティを知ってすぐに好きになりました。電撃的な出会いでした。

フィンランド人と日本人の感性って似てるんですね。

マッティみたいに不器用に生きていて、ひとりで困って、でも毎日なんとか生活している人。そういう人が人知れずがんばっている姿、もっと認められるべきではないでしょうか。

この本を読んだら、憂鬱も悪くないかもと思いました。

日本にもフィンランドにも、こういう生きにくさをかかえてこっそりと悲しんでいる人がいっぱいいるんだなと思いました。どうせ憂鬱なことはまたおきるし、なかなか人は変われない。だったら、憂鬱な自分と親友になりませんか。

人とかかわるのが苦手なあなたが感じる、人とのちょうどよい距離感で、自分とも向き合ってみませんか」

 

さてこういった「共感」の感想をもとに、日本人とフィンランド人が共通して持っているのかも?という点を整理してみると、次のようになりました。

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たとえば、マッティが「自己アピールが苦手」「 褒められるのが苦手」 「人前でスピーチが苦手」「 質問したいけど注目されるのが苦手」である姿に共感するのは、控えめで、自己アピールや目立つことに抵抗を感じる点が似ているのではないかと。

同じように、人との距離感、寡黙さに比較的肯定的な価値が置かれること、集団のルールを守ろうとする、他人の迷惑を気にする点などが共通しているのでは?と思えてきました。

 

「マッティ」的なるものを形成する2つの側面

さて、今日はここからもう1つ深掘りしてみたいと思います。このようにあぶり出されたマッティ的特徴(一部日本人が共感する)を成しているものを考えていくと、①個人の資質やパーソナリティの側面と、②社会的環境の側面の2つがあるのではないかと。

個人の性格、パーソナリティとしては、シャイとか内向的とか、小さなことや場の空気を察知する敏感さみたいなもの。そういう部分と、もう1つ、社会的な背景も絡み合っているのではないかと思います。

一方、日本とフィンランドに共通する社会的な要因として、たとえば、民族の同質性の高さ、というのがあるんじゃないかと。

それから、集団のルールに対する忠誠心というか、集団規範がある程度重んじられる社会。こういう社会的背景も影響して、マッティ的な性質が形作られているのではないかと思います。

「高文脈な(ハイコンテクストな)文化」とはどういうことなのか、さらに説明します。

 

ハイコンテクストな文化?

「フィンランドはハイコンテクストな文化だ」といっている人のひとりに、ジャーナリストのマイケル・ブースさんという人がいます。

マイケル・ブースの『限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?』(角川書店、2016)という本で、次のように書かれています。

“フィンランドは非常に高文脈(ハイコンテクスト)な文化だと言える。世界で最も高い部類に入るだろう。”
“ハイコンテクストな文化においては、人々が同じような期待や経験、背景を持ち、遺伝子まで似ている。このような人々は言葉によるコミュニケーションの必要性が低い。”

 

これ、フィンランドの部分を日本に置き換えて読んでみてても、当てはまる気がしませんか?今でこそ、外国人と仕事をしたり暮らしたりすることへの意識が高まってきましたが、日本って、「みんな同じ前提を共有しているから、言わなくてわかるでしょう」みたいなところがあって、「暗黙の了解」とか、「以心伝心」とかいったりしますよね。なんでもかんでも言語化するのではなく、「察する」能力がないと学校でも会社でも困る場面ってでてきますよね。

この本を書いたマイケル・ブースは、フィンランドと対照的な例として、ロンドンをあげています。「ロンドンのように数百もの異なる国籍や人種、宗教の人々がいるようなローコンテクスト(低文脈)な文化においては、自分の考えを人にわかってもらうために言葉を駆使してコミュニケーションをはかる必要性が高くなる」というわけです。

この、ハイコンテクストな文化、ローコンテクスト文化という理論は、アメリカの人類学者・エドワード・ホールという人によるものです。ご存じのかたもいらっしゃるかもしれません。

エドワード・ホールさんの分類図によると、日本人は「一番高コンテクストな文化」に分類されています。ただし、エドワード・ホールの図だと、「スカンジナビア人」がアメリカ人より右の「低コンテクスト」に分類されているんです。これはどうしてか。「スカンジナビア人」にフィランド人は含まれるのでは?と思うところですが、どうも、エドワード・ホールは、厳密に「フィンランド」がどこに位置するかということは示していなかったようです。私は、さきほど紹介したマイケル・ブースさんに賛成で、フィンランドも日本と同様の、ハイコンテクスト文化という傾向があるのでは?と考えました。

 

聞く文化?

それから、このマイケル・ブースさんがあげているフィンランド社会のもうひとつの特徴が、「聞く文化」というものです。

“「フィンランド人は饒舌な人を信用しない。もし一度に4-5分以上しゃべりつづける人がいたら、何かやましいことがあるのではないかと疑い始める」とルイスは言い、
フィンランド文化は受け身の文化、または聞く文化だと付け加える

 

この辺も、フィンランドと日本に置き換えて呼んでも、違和感がないと思いませんか?なんだか似ている気がする。

ということで社会的側面について共通点をみてきたので、次にパーソナリティの側面を考えて行きたいと思います。マッティってシャイで内向的な感じなのですが、これに関してもいくつか研究を紹介します。

 

内向的?

アメリカの作家、スーザン・ケインが『内向型人間の時代』(古草秀子訳、講談社、2013年)という本を出しています。ハーバード大学を出て弁護士の仕事をしていた人なのですが、外向的で社交的な性格が良しとされるアメリカ社会の中で、自分の内向的な性格についてずっと肩身の狭い思いをしてきたそうです。彼女が内向型について研究してまとめた本の中で、さらっと、「フィンランドは内向型が多いことで有名」と書かれています。

そして、次のようなフィンランド流ジョークが紹介されています。

こんなフィンランド流ジョークがある。「フィンランド人に好かれているかどうか、どうしたらわかるの?」「彼があなたの靴をじっと見つめたら、間違いないわ」”

 

つまり、好きな人の目を見たり、好きな人に話しかけたりじゃなくて、靴をじっと見つめていたら、あなたに好意があるに違いないわよ、というジョークです。実際、ここまでシャイかどうかは別として。

内向性に関して、もう1つ紹介します。ローリー・ヘルゴー著、『内向的な人こそ強い人』(向井 和美 訳、新潮社、2014年)

これまたアメリカの女性が出した本です。やっぱりアメリカの人はより悩むんでしょうかね。この本では、1章分使って、北欧と日本は内向的な人にやさしい社会だ、うらやましい、みたいなことが書いてあります。彼女は、日本を何度か訪れた印象などから、内向的にやさしい社会だと思ったそうです。

“北欧も日本も内向的な価値を重んじる自由な社会”

 だと彼女は書いているのです。日本を「”自由な”社会」だと言えるかどうかは、私はちょっと疑問があるんですけど。まあ、ここではさらっと流します。

 

コミュニケーションスタイル

それから、控えめなコミュニケーションスタイルという点に関して、指摘している人がいます。ティムさん。

ティム・ウォーカーはアメリカ人男性で、フィンランド人女性と結婚してフィンランドに移住した人です。彼は「LOST in Finland」(未邦訳)というエッセイ本で、フィンランドで経験した興味深い出来事のあれこれを軽快に綴っています。

そのなかで、「僕は叫んでなんかいない」というタイトルのエッセイがあります。

どんな話かというと、ティムさんは結婚前、後に妻となるフィンランド人の恋人と意見の相違がおきたときに、ちょっと声を大きくしてしゃべろうとすると、彼女からは「叫ばないで!」「落ち着いて!」と叱られてしまう。彼女が話しているときに、ちょっと間があいて、それを埋めるようにする何か話そうとすると、「まだ私が話している途中でしょ!割り込まないで」とか叱られてしまう。アメリカ人の自分と、フィンランド人の彼女のコミュニケーションスタイルの違いに悩んだという話が書かれています。

そして悩んだ彼は、こういう仮説にたどり着きます。(太字は私によるもの)

僕と妻ビルマの間にある最も大きな文化的な違いの一つは、「自分自身をどのように表現するか」という点だ。

フィンランドで50年以上暮らしたイギリス人作家のリチャード・D・ルイスは、著書のなかでこう書いていた(妻に出会う前にこの本を知っていればよかったのだが・・・・・・)。いわく、

「フィンランド人のジレンマは、彼らが、アジア的コミュニケーションスタイルのベールをまとった西洋的価値観の持ち主だという点だ」

つまり、リチャードルイスによれば、「フィンランド人は、価値観は西洋的だけれども、コミュニケーションスタイルとしてはアジア的だ」、というのです。

もしルイスさんのいうとおりだとすると、フィンランド人マッティの振る舞いやコミュニケーションが、アジア人である日本人と似ているなと感じるのもうなずけます。

というわけで、マッティに描かれているパーソナリティだとか、その背景にある社会の特徴が一部似ているのではないか、というお話をしてきました。

だからこそ、日本でも、共感してもらえて、本を手にとってもらえたのではないかと思います。SNSにもたくさん感想を書いてもらっていて、すごく喜ばしく思いました。

ただですね、私は考えてしまうのですが、単に似ているから、共感できるという点だけが、この本の魅力なのでしょうか?

どうも、共感だけではない気がして。

ということで、今日のテーマが、「フィンランド人と日本人の共通点と相違点」ということなので、当然の流れなのですが、ここから、フィンランドと日本ってこういうところ違うよね、ということをお話したいと思います。

共感しているだけじゃない

フィンランドと日本の何が違うんだろうと考えるために、読者さんからの感想を見返してみたいと思います。すると、ただ「自分にそっくり」というだけでなく、「ほっとした」とか救われたといった言葉があります。

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こういう感想を読んで、私が思ったのは、日本の読者は、ただ共感して楽しむだけではなくて、癒やしを得たり、勇気をもらったりしているのでは、ということ。

自分のなかの、マッティ的な部分。つまりシャイだったり自己アピールが苦手だったり、空気を読みすぎたり、そういう部分がこの本を読むことで肯定される。それがこういった感想につながっているんだと思いました。

マッティから癒やしや勇気をもらった私たち。これは裏を返すと、普段、私たちが、マッティ的な自分をありのまま肯定できずにいるということなのではないでしょうか?

私たちのマッティ的な部分を、もっと肯定したいのではないでしょうか。

普段、マッティ的な部分に抑圧や否定のプレッシャーがかかっているからこそ、この本を読むと、ほっとしたり、癒やされたりするのではないかと。感じました。

 

たとえば、『マッティは今日も憂鬱』のなかで、こういう1コマがあります。

「フィンランドスマイルは、Rare and Genuine」直訳は、「フィンランド人の笑顔はめったになくて、だけど笑顔の時は本物だ」という意味で、「笑うのは、本当のときだけ」という訳をつけました。

この1コマに関しては、共感した人ももちろんいると思うのですが、「そうなれたらいいのにな」という気持ちで読んだ日本人も多かったのではないでしょうか。だって日本には、愛想笑いという文化があります。本音と建て前という文化も。

合理的でストレートな表現をするフィンランド人に対して、曖昧で遠回しで建前を重んじた表現をとる日本人。こういう点は異なる点だと思うのです。

 

さらに、ほかにも異なる点を考えてみますと、社会にはこういった違いがあります。

これは私自身の経験も通して感じた考察ですが、日本社会は、たとえば出る杭は打たれます。だから、和を重んじ、集団のルールに従順であるように教育され、控えめな態度をとっています。しかし、フィンランドと違って日本は競争社会で格差社会です。フィンランドのように、高福祉で格差の少ない、セーフティーネットの充実した、教育機会が平等な社会とはちょっと違います。人生で何かつまづいたり転落したら、それは自己責任でしょという空気もあります(私はそう感じます)。仮に、私たちが、「他人をどんどん出し抜け」とか、「他人をさしおいてでも自分を主張しないと生きていけないぞ」という教育を受けて育つのであれば、競争社会に出て行ってもやっていけるというか、つじつまが合うのですが、和を乱すなよという風にいわれてきたわりには、社会はとても厳しい荒波だと思うんです。”マッティ”のまま、生きるのは難しいなと思います。

学校では、「どうして皆と同じようにできないの?」と言われたりします。皆と同じ行動をし、言われた通りのことをきちんとできるように教育される。もちろんそれは集団生活において必要なことかもしれませんが、そのくせ就職活動では、いきなり個性は?とか1分で自己アピールしなさいとか言われます。

こういった部分で、個性をめぐるある種のジレンマが、あるなと。矛盾する2つの基準に挟まれて、ダブルバインド状態で、それが、息苦しさの一因なのではないかなと、感じるのです。

読者さんの感想を見ていても、なんだか、普段、生きづらいかな、疲れるかな、息苦しいんだろうなっていうのを少なからず感じたんです。私も、今日最初の自己紹介で、日本で働いていく中で色々行き詰まりを感じたという話をしましたけど。

 

ですから、今日ここで1つ、フィンランドと日本の違いをあげるとすれば、こういうことかなと。ちょっと日本を悪くいっているようで、気を悪くされたら申し訳ないんですけど、今日はこういう仮説にしました。

フィンランドは、マッティのままでも許される社会。だから、マッティが典型的なフィンランド人でいられる。

対して日本は、出る杭は打たれるとかあって、マッティのように控えめに振る舞わざるを得ない場面があって、だからマッティ的なものも、「わかる」。しかし、それでいて、厳しい競争社会で、外向的にぐいぐいいかないとうまく生きていけない不安感が渦巻いている。だから、マッティみたいな人はちょっと戸惑う。

ということなのでは、と。

マッティの本というのは、共感はもちろんありつつ、その奥には、社会の矛盾のなかで息苦しさや生きづらさを感じる人に、自己肯定感や勇気、癒やしを与えてくれる本だったのではないか。

そのように思いました。

さて、ここまでが、今日の本題、「マッティ」シリーズの刊行を通して私が感じた、日本人とフィンランド人の共通点、相違点になります。

 

メインのお話はここで終わりです。

ここからあとは、余談です。

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あの日本文学と似ている?

マッティ的な特徴として、実は「敏感さ」もあるかなって思ったのです。「そんな小さなこと、気にするの?」とか「そんなささいなことで、喜ぶの?」みたいな、繊細な感受性のことです。

で、小さな憂鬱、小さな幸せを愛でる繊細な感性が、日本人のとある文学とも似てるよな、と思った話。これは、海外の研究者のいっていることではなくて、完全にわたしの個人的意見なのですが。

マッティに出会ったとき、「いつもここから」というお笑い芸人のあるあるネタと似ていると思ったという話をしました。実はもう1つ、「似てる」って即座に思い浮かんだ日本文学があって、それが、かの有名な、枕草子だったんです。学校の古典の授業で習いますよね?平安時代に書かれた女性によるエッセイですよね。

どういうところが似ていたのか紹介しますと、

『マッティ旅に出る』の1コマで、

「せっかくの夏休みだというのにそのときにかぎって毎日毎日雨が降って憂鬱だ」というのがあります。(※実際の日本語訳とは異なります)

こちら、枕草子では、こういうのがあるんです。

「くちをしきもの  五節(ごせち)・御仏名(ごぶつみょう)に雪降らで、雨のかきくらし降りたる」

 

現代語訳は、五節・御仏名という冬の宮中行事のときに雪が降らないで、雨があたりも暗くなるほどひどく降っている。ああ残念だわ、という意味。

天気に一喜一憂する感じ、これ、今の日本人には薄れている感覚かもしれませんが、少なくとも平安時代の清少納言とは似てると思ってしまいました。雪が降ってくれたら白くてきれいでよかったのに、雨かよ・・・って残念がってる。

もうひとつ。

また『マッティ旅に出る』の1コマです。サマーコテージでゆっくり静かに過ごそうと楽しみにきたのに、ご近所さんがうるさくてしょんぼり、という場面がありました。

枕草子では、こういうのがあります。

「すさまじきもの 昼ほゆる犬」

つまり、「昼からきゃんきゃんほえる犬、興ざめですわ」というんです。

 

こういうの読むと、ささいなことを憂鬱がったりうれしがったりする感性が、もしかして日本人とフィンランド人って通じ合えるのかもしれない、なんて思いました。ただ、枕草子は平安時代に書かれていて、もしかすると、マッティ的な心の動きは、日本人がかつて持っていたけれども現代社会で忘れがちな心・・・なのかもしれない。

 

というわけで。以上がマッティのお話でした。

マッティは、私たちの心を癒やしてくれ、笑わせてもくれ、小さな勇気をくれた。

最後に私自身の話をすると、今年これから、新たに1冊、フィンランド文化に関する本の翻訳出版を予定しています。次の本を通して私は、癒やしということからさらにもう一歩進んで、「じゃあ、実際に、今自分がいる場所で何ができるか?」ということを日本に伝えていけたらと思っています。

フィンランドのことが好きになって、ただ、いいなあ、うらやましいなあ、て思って、たまに旅行にいく。もちろんそれだけでもいいけれど、もう一つ、自分の人生をよりよくするために、自分の今いる場所で何かやってみれたらいいな、という思いが常々あるんです。そういう切り口でフィンランドとかかわっていたい。

次の本では、フィンランドのライフスタイルの良きエッセンスを抽出して、応用可能な形で日本に紹介する、みたいなことが、できたらいいなと思っています。

次の本も、本当に本当にすばらしい本なので。(※こちらの詳細は後日・・・)

本日はありがとうございました。

 話に登場した本たち(日本で読めるもの)。ご興味ありましたら、ぜひ!

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