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Haruka Yanagisawa / ライター&翻訳業/ 北欧、キャリア、働き方、ジェンダー、コミュニケーションなど

妄想「なんもしないサウナ」

妄想「なんもしないサウナ」

最近話題の「レンタルなんもしない人のなんもしなかった話」という本を読んだ。レンタルなんもしない人というサービスを始めた「レンタルさん」の、なんもしないということ。この本を読んだら、自分がいかに「なんかしなきゃ」の呪縛にとりつかれていたか、はっとした。そして、「ただそこに居るだけで(も)いいのだ」と思わせてくれるこの本は、まるで天から降りてきた大きな「許し」、光のように思えた。

(レンタルなんもしない人とはなんぞや?という人はレンタルさんのTwitterからお察しください・・・)

さて読了後、私はふとある妄想を抱いた。「なんもしないサウナ」があったら、いいのに——と。

なんもしないサウナの入り口には、こんな張り紙がしてある。

「こちらは、なんもしないサウナです。なんかしたい方の入室はかたくお断りします。痩せるため、美容のため、仕事の生産性を上げるため、クリエイティブになるため、水風呂でエクスタシーを得るため……等といった目的意識を強くお持ちの方はご遠慮ください。我慢、頑張り、といった行為もご遠慮いただいております。

また、当サウナに入ることによる『メリット』等について、当サウナでは一切わかりかねます。上記をご理解いただける方のみ、お入りください。」

サウナの中にBGMはなく、最小限の照明があるのみとする。テレビは言語道断。そしてまた、時計は、「あと○分入るぞ…!」といった数字への執着、「なんか達成したい欲」を誘発する恐れがあるため、置かないことにする。水風呂も、なし。こちらも同じく、「サウナのあとの水風呂で恍惚感を…!」といった「なんか得たい欲」を誘発する恐れがあるからだ。サウナの前後に身体を流せるよう、シャワー設備のみと、する。

× ×

私がこのような妄想を抱いたのには、過去の自分の失敗が関係している。私は以前、フィンランドのサウナで味わった心地よさを日本でも味わいたいと思い立ち、東京都内のサウナにあちこち通った時期があった。しかし結論からいうと、数ヶ月して、私はサウナから遠ざかってしまった。

そのいきさつは、こうである。

もともと私は、フィンランドで、「何も心配しなくていい、ただここにいるだけで、気持ち良くて安心で、穏やかな気持ちになれる」そんなサウナ空間に魅了された。人々は、ゆるやかで、なごやかで、目尻がとろっと下がり、口元はゆるみ。誰ひとり、「力んで」いる人がいない。「頑張って」いる人もいない。自然体で、ただいればいい。そこは究極の「なんもしない」だらり空間だったのである。

ところが東京でサウナに入り出した私は、知らず知らずのうちに、「うーん、フィンランドのサウナと違って温度が高すぎ、湿度が低いな・・・」とか、「熱いけど、もう少し”ガマン”して、そして汗を出そう・・・」とか、余計なことを考え始めた。食べログの点数をつけるがごとくサウナに対してジャッジメンタル(批判的)になったり、「何か(心身に)良いこと、してやるぞ」感がぷ〜んと漂い始めて、そんな、せせこましい自分が嫌になった。

また、どこのサウナが良かろうかと、インターネットの検索窓に「サウナ」と打ち込めば、「美肌!」、「仕事の生産性・集中力アップ!」、「いま、大流行!」といった言葉が目に飛び込んでくる。そういう言葉を読み込み(読まなきゃいいのに・・・)、さらに苦しくなっていった。胃の辺りにグーの拳をぐりぐりと押し当てられているような気分になった。

そして私は、静かにサウナから遠のいていったのだ。気づけば私は、「フィンランドのサウナで味わったあの感じ」に近づくどころか、むしろ、その対極に向かっていた。

私は「なんもしない」を求めてサウナに行き始めたはすだ。それなのに、あれよあれよという間に、なんもしないことに、失敗したのだ。そして、撤退。

× ×

日本のサウナから距離を置くようになってしばらくして。実は再び、「フィンランドのサウナの感じ」に出会う瞬間があった。

それは温泉旅館に泊まったときの、露天風呂だった。

そこにいる誰もが、これでもかというくらい、だらんとして、ゆるんでいた。

みんな温泉宿に、休みに来ているので、こでさすがに「温泉によるリフレッシュ効果で、風呂からあがったら良い企画書を書くぞ・・・!」とかギラついたオーラを発している人はいなかったし、そこにいる誰もが旅人だから、「常連と新参者」という序列もない。「最近、にのうでのたるみが気になるな」・・・というようなことは、この時間には、気にならなかった。笑

そして、目の前は、自然。そのときは、薄ぐらい中に、積もった雪の白さだけが、わずかな明かりだった。

自然の中で裸になって(って、考えてれば、すごいことだ)、スマホはもちろん、気持ち的にも、悩みも欲も、なにもかも放り出して、ただそこにいていいって、最高だな。

そう思ったのだ。それは、フィンランドのサウナで感じたあの心地よさに、とてもよく似ていた。

× ×

さて、話は戻って、妄想「なんもしないサウナ」である。私のような、ついあくせく、なんかしようとしてしまう人間にはこれくらいのサウナがあったらいいと思う。「生産性」だの「有意義」だの、「メリット」だのからできる限り離れたいから。

ただこのサウナには一つだけ問題がある。

せっかく「なんもしないサウナ」なのに、サウナに入る前の注意書きが、長すぎるのだ。

なんもしてはいけないのだと注意書きにしてしまったら、これはすでに「なんかしてる」じゃないか、

…と、禅問答のような問いに行き着くのだった。

 

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昔の日記

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